資源文化
文化風俗
文化
この文化の進化は、漢化程度の最も高い麗江古城での反映が最も明らかにしている。1996年地震に従って旅行業の高速発展の後に、漢語の雲南方言はどんどんナシ語に代って、古城地域の主流言葉となり、しかも若いナシ夫婦も漢語を使って子供に教育を行い始める。然し1990年前の麗江は、ナシ語が古城の既定社交コミュニケーション言葉として、子供が学校で漢語の教育を受けるとしても、ナシ家庭内及びナシ少年の間にナシ語で会話する。1996年旅行業の急速発展が麗江民衆に自信を齎し、商業利益の駆動の下で漢語の方言がどんどんナシ語に代って麗江古城のコミュニケーション言葉となり、ナシ伝統文化の前途がより厳しくなさせた。しかし、打ち踊り歌、ナシ浄地、トンパ吉日経などナシ語歌が古城で風靡していることに従って、ナシ地元文化の復帰風潮が流行っていると意味する。
両性風俗
今の漢族父権社会のように、麗江ハー区のナシ族家庭の多くは男性が家庭の主であるが、瀘沽湖の摩梭女性親制は違い、ナシ婦人たちは漢族婦人よりかなり重い家事や社会義務を負担している。   
麗江古城で、四十代の男が花を育て鳥を飼うことが極普通で、これは人にナシ族が現状に満足し向上しようと思わない印象を与えた。実は、一家の主という身分以外に、これも麗江の伝統商業経済が非手工芸経済と関係がある。ナシ女性は家事だけではなく、金を儲けて家族を養う義務を持っている。古城の元の四方街マーケットで、刀を持って肉を売っている人の多くは中年婦人で、男性は側に金と受け取ったりし、見っているだけである。80年代、『南華早報』の記者さんが古城の関門口にこういう場面を見かけて、「ナシ地域はまだ母系遺風を保留している」という結論を出した。  
1253年モンゴル人が麗江を征服する前に、麗江のナシと瀘沽湖の摩梭は同じ母権社会で、1253年後中原漢文化に傾いている木氏がどんどんナシ家庭に漢族父権制度の影響を与え、1723年官族の流官が木氏家族の替りに麗江を統治し始め、父権社会の規範及び父母請け負う婚姻制度を含んでいる大量な漢族価値観が盛行し始め、ナシ族の婦女が家庭の把握権を失う同時に、恋愛自由と性の自由が儒家漢制の抵触を受ける原因で、ナシ少女が恋のために死亡する人数が激増してきて、父母の同意を得ていないある男女は金砂江を越えて摩梭地域に自由な愛情を求めに行った。   
1970年代後生まれたナシ青年男女は、已に伝統的な価値に従われなく、大陸の新新人類と同じく、西方から流入する文化の中にナシ祖先が嘗て有している自由精神を探している。
宗教信仰
ナシ族は歴史に仏教、ラマ教、道教を信仰することがあった。しかし、生活方式が宗教から深い影響を受けていた民族と違い、ナシ人は何の宗教も篤信していない。今の麗江で、年上のナシ人の中にも、敬虔な信仰者が探しにくいである。トンパ教はナシの古代原始宗教であるが、エリート感じを持っていて平民宗教ではない。
麗江言葉
ナシ語は麗江及びハーエリアナシ地域の主な言葉であるが、麗江古城では、漢族の雲南方言(雲南語とも呼ぶ)は最も幅広く使っている言葉である。しかし、古城ナシ家庭の各家庭メンバーの間にナシ語を使用し、麗江の若い世代は皆漢語中国語を話すことができる。ある旅行業に従事している青年はとても流暢な英語もできる。ある旧世代のナシ老人は嘗て教会学校の西式基本教育を受けたことがある原因で、麗江古城の街にナシ老人が英語を使って外国人と会話するのは珍しくない。麗江の名人宣科は更に外国人もびっくりするほどのとても流暢な英語を話すことができる。商業利益の駆動に従って、漢語の方言はナシ語の替わりに麗江古城のコミュニケーションツールとなり、これはナシ伝統文化の前途がより厳しくなった。しかし、打ち踊り歌、ナシ浄地、トンパ吉日経などナシ語歌が古城で風靡していることに従って、ナシ地元文化の復帰風潮が流行っていると意味する。ギャム女神山に囲まれた小落水村が盛んでいる。
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